「予防と健康ブロック・レポート」

                           

1.はじめに

授業で見た「うつ病」のビデオをもとにレポートを書こうと思います。現代どんどんと増加しているこの病気を少しでも理解し、これからの自分の医師への道へと役立てたいと思います。

 

2.キーワード

「うつ病」 「ライフスタイル」

 

3.「現代型うつ病」松浪克文 上瀬大樹

 

「現代型うつ病」は、比較的若いサラリーマンなどに典型的に見られる軽症の内因性うつ病の変異型で、抑うつ気分よりも制止症状が前景に立ち、恐怖症的心性に関係すると思われるいくつかの特徴を有する。

「現代型うつ病の特徴」には@比較的若者A組織への一体化を拒絶しているために、罪責感の表明が少ない。むしろ当惑ないし困惑B早期に受診→不完全型発病C症状が出揃わないD自己中心的(に見える);対他配慮性が少ないE趣味を持つF職場恐怖症的心理+当惑感Gインクルデンツを回避;几帳面、律儀でないHレマネンツ恐怖;締め切りに弱いなどがある。

「現代的うつ病」と「従来型うつ病」の違いは完全に発病して受診する、全面的な制止、対他配慮、無趣味、遷延化例において見られる、などである。

病態理解という点から見ると、「逃避型抑うつ」概念では、発症が「逃避的」に見えるのはヒステリー機制を含んだ甘えの病理によるという仮説が提示されているのに対し、「現代型うつ病」は恐怖症的心性によって病像が陰伏的に規定されている点に特徴があり、現代社会の一部に現れた局地的な心理傾向に関連するのではあるが、個人の性格の病理に依存するところは少ないように思われている。ちなみに精神疾患の発症をストレス回避という意味で逃避だと構造的に解釈することは可能であるが、そのことと実際に患者に逃避の心理が見て取れることとは同一ではない。「現代型」の症状の性質と発症経緯は基本的に了解不能であることから発病とストレスの間には「うつ病準備性」とでもいうべき素質的な新体制の病理が介在しており、この発症敬意は基本的に不可避な過程であると考えられている。

「現代型うつ病」に見られる恐怖症的心性は、すでに周知の(従来型うつ病の)遷延化例に見られる恐怖症状とほぼ同質のものと思われる。(従来型うつ病の)遷延化例における恐怖症状は社会復帰に何度か挫折するうちに醸成されるものであって、患者は現実の職場を恐れているのではなく、職場に出社できなくなる際の、急かされ、追い詰められ、居所のなくなった状況(とそのときの自分の心理状態)についてのイメージを恐怖対象としている(元来、恐怖症とは具体的な対象と言うよりは対象のイメージへの恐怖なのであろう)。つまり、遷延化例の恐怖症はいわば「前うつ状況」恐怖(インクルデンツ・レネマンス恐怖)ということができる。

「現代型うつ病」のレネマンツ恐怖の背景に確実に存在すると思われる忌避感は、「先端的なもの」「ペースを乱すもの」に向けられている。つまり、現代社会の多様性とめまぐるしい変化に向けられたものであり、これに自分のペースを乱されることを忌避ないし恐怖していると言えるだろう。「現代型うつ病」という変異型のうつ病の不変項とはこのような変化への忌避に関連している。

本来は「従来型」と「現代型」に共通に存在するはずである。しかし、「従来型」においては、強迫性のこの動的成分は、“几帳面”という静的な表現型によって空間化されてしまい見えづらくなっていたものと思われる。反対に、「現代型うつ病」では、うつ病患者の強迫性が、職場などの社会的、公的な領域においてあからさまに空間化されることが忌避されているため、職場の外私的領域の活動にその動的側面が露呈しているということができるだろう。うつ病患者は職場や世間のたように変化するリズムに翻弄されることを恐れ、私的生活におけるリズムに固執して自分の「ペース」を守っていると言える。リズムを乱す因子が環境にあり患者は自分の固有のリズム性を保持しているという図式である。しかし、患者がこれほどまでに「マイペース」を固辞する理由が環境からの多様な惑乱だけにあるとは言えず、むしろ、リズムの主要な惑乱因子は患者自身のそばにあって、患者は自身の生活リズムの不安定性や被影響性を恐れており、趣味的領域における反復的な活動によってリズムを失うことかろうじて防いでいると言えるかもしれない。リズムの含む柔軟な揺れを快く感じるのではなく、この反復性に信を置く強迫性の心理こそ、「現代型」においてかすかに露呈した「うつ病」の病理の一側面であると思われる。

時間生物学や生理学の教えるところによると、人間の本能のデザインは生息のリズムと言う点においても自然と合致しておらず、人間をフリーランさせると24時間よりは長く(25時間と言う説がある)なるという。つまり、われわれは生理的には24時間+αの周期的な変化を営んでおり、地球の生活に馴化するためにはわれわれはみな、1日にα時間急がなければならない。この「ずれ」あるいは「遅れ」を解消するためには、光による脳内メラトニンの変化作用と言う生理学的な同調因子だけでは不十分であって、文化的な同調因子が不可欠である。われわれは起床してから夕刻就床するまで、三度の食事などの習慣的生活行動だけではなく、仕事に集中する時間と休息する時間の配分などのさまざまな個人的な行動様式によって、ともすれば遅れがちな内的時間感覚を修正し、1日のうちにαだけ時間を稼いでいるのである。

生活の実態に即して言えば、一般に、われわれは起床や就寝などの生理的リズムから、勤務の開始や終了などの社会的に設定されている制度的リズムに到まで、外的に時間を区切られ、強いられた生活行動の切り替えのタイミングを、いわば自分の習慣として内化し、自分が望んだものだとして再規定することにより得られるものだと考えられる。この外的に強制されるリズム(というよりは反復性)を自分の習慣として捉え返す働きを担うのが個人の文化的同調因子だと言える。つまり、文化的同調因子とは、外的な周期的「区切り」が有する無機的な反復性を人間の個人の行動様式の中に有機的に取り込むための慣習および個人的行動様式なのである。

うつ病の病理学にとっての問題はこれらの行動様式が個人の生きるスタイル、働くスタイルとして、個人のself-esteemを支えているという重要な価値を有するので、その同調因子としての機能的価値の方が認識されていないことである。うつ病の発病過程では個人のスタイルが喪失されるのだが、このことは、仕事上の失敗や対人関係おける困難の中で自身を失い、self-esteemを低下させていくという心理学的文脈によってだけでは理解されない。うつ病発症の素質は、外的リズムからの影響を受けやすく、またいったん被ったリズムの乱れすなわち遅れを解消して、自分の本来の生活リズムを取り戻す復元力が弱いことにあるのこましれない。

現段階で治療を行う際の基本的認識としているのは、@生活リズムという視点からすれば、うつ病素質者の病理の中心は(生活)リズムの可塑性である、Aうつ病発病による最も重大な損失は、個人の文化的様式すなわち生活人、職業人、趣味人としてのスタイルの喪失である、の2点である。

生活リズムという視点から見れば、うつ病の回復とは個々の生活行動がスムーズに営まれ、リズムを形成する要素となり、最終的には、患者固有の生活リズムを組織化されていくことである。いわば生理的リズムと生活文化や様式によるリズムとの間の関係が逆転して、文化的様式リズムが生理的リズムを支配するようになる。これがうつ病の生活リズムという点での治癒過程である。

 

 

「健康日本がめざす、ライフスタイルとしての『こころ』の健康」安達淑子

 心の健康とは情緒的健康、社会的健康、知的健康、spiritualの4つにわけた。情緒的健康は感情のコントロールで、自分の感情に気がついて、それを上手に表現できること。知的健康は状況判断が適切に出来て、現実に問題解決が出来ること。社会的健康は対人スキルのことで、他者、社会とよい関係を築くことができること。Spiritualは生きがいを見つけ、主体的な人生を送ること。

 そこから休養・こころの健康分科会は次の三つの基本方針を打ち出した。

1.常生活、習慣を重視し、全人的に心の健康と体の健康を推進しよう。

2.動科学に基づいたセルフケアを推進。

3.こころの病気への早期発見。

次に心の健康を保つための対策は@ストレス対策A睡眠対策Bうつ病の早期発見と治療の三つの柱からなる。いずれにおいても一次予防としての知識の普及が基本になるということ。

@に関しては「ストレスの理解、睡眠・運動・食事、認識」を基礎に「リラクゼーション、気分転換」などの誰にでも共通するストレス対処法がきて、さらに「現実的思考法、コミュニケーション技術を高めること」、「時間管理法」と続く。

Aに関しては「弛緩法(筋弛緩、入浴、儀式、環境)」、「刺激統制法(寝室は寝るだけ)」、「睡眠制限法(就眠時刻を遅く、睡眠効率)」、「認知療法(間違った思い込みの修正)」、「睡眠健康教育(リズムを重視、光、運動、カフェイン、タバコ、酒、仮眠)」などの行動療法。

Bはそのままだが、人間ドックをりようするのもよい。

 「心も習慣である」、「心もライフスタイルである」と考えれば、患者さん、クライアントに具体的な提案を行える。そしてストレス対策は食事、運動、休養という形で行うとよい。睡眠習慣改善はメンタルヘルスに直結しており、うつ病の早期発見にもつながる。そして自己学習、セルフケアを促すことが大事である。

 

 

4.    うつ病は現代社会が直面している大きな病気の一つと言っても良いかも知れない。ストレス社会だ  とマスコミや企業は騒ぎ立て、巷では癒しグッズが溢れ返っている。でも、よく考えてみると昔はスト     レス社会ではなかったのだろうか。いや、ストレス社会でなかった時代などあったのだろうか。自然災害、飢饉、疫病、戦争、対人関係、妬み、僻み、嫉み、恋愛、出産、出世、これらはどの時代にもあったはずである。今の世の中だけがストレス社会なのだろうか。

一つ目の論文では人間はα時間を埋めるために生理学的同調因子と文化的同調因子が必要だと言っている。文化的というくらいだから人間が文化的な生活を送り始めたころからこれらは必要になったのだろう。もしかしたらこの文化というものが人間に「うつ」を与えた張本人かもしれない。その後に筆者はうつ病発症の素質は「自分の本来の生活リズムを取り戻す復元力が弱いことにあるのではないか」と述べているが私はこれを読んで、われわれ人間がどんどん文化的になってきた証なのではないだろうか、という乱暴な推論を立ててしまった。ちなみに国民年金や健康保険の問題などで安倍政権率いるわが国は文化的で最低限度の生活を送ることが困難になってきている人が多いと聞くのでもしかしたらうつ病は減るのかもしれないという、これまた超乱暴な推論を立ててしまった。

二つ目の論文を読んで思ったのだがやはりこころの病気というのは客観的に見たほうがいいということだ。取り組みやすく、分かりやすいことは非常に大事であり、漠然と頑張るよりもわかりやすいと思う。

医師になるうえではやはり結果が第一だと思う。そのためにはこの確立されていない分野のさらなる探求に期待を持ち、勉強していきたいと思う。

 

5.まとめ

根本的な話だが、だいたい、これらは本当に「こころ」の病気なのだろうか。私ははっきりとこれはストレスなどによって起きた脳内の異常だと言ったほうが良いと思う。「脳」と言えば生理的な現象という印象を受け、「こころ」と言うと文化的な現象という印象に受け取れるように思える。その人、個人の文化を医学という文化が否定しているよう思えて私は正直好きではない。単なる言葉の話であるのだが。